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漫画『おやすみプンプン』考察

おやすみプンプンと言う漫画は僕が今までに読んできたどんな漫画とも違うタイプの漫画だった。

読む前に知っていたのはオチに立腹した人間がたくさん居るって事だけ。曰く「結局何にもなってない」「意味不明。平凡な幸せを手に入れたってこと?」「大風呂敷広げただけでオチつけられなかった典型」…

ただ自分で読んでみるとそんな風に立腹するのは筋違いなんじゃ無いかと思った。

凄く真剣に考察したいと思うので何回かに分かれてしまうかもしれない。


まず考えたいのは主人公プンプンの姿について。
この漫画を読んだ人間がまず驚くであろう要素は主人公プンプンの姿。他の登場人物や背景が非常に綿密に書き込まれていて上手な絵なのに主人公と主人公の家族だけはデフォルメ化された小学生の書いたヒヨコの落書きの様な姿をしている。
これは何を意味し、何を効果として狙っているのか。

考えて思いついた事を羅列する
①描写を多少なりともマイルドにするため
②読み手が感情移入しやすいように
③顔によって本当に伝えたいことがぼやけてしまわないように
④異常性の証明

まず①について。この漫画は結構きつくて、暴力的なシーンだったり官能的なシーンだったりで生々しい描写が多いのだが、そんな中でもプンプンやその家族はデフォルメ化された描写のまま。
これらのシーンで痛みに怯える顔やリアルな傷跡を描写していたらメッセージよりもそちらに注目が行ってしまう。

これは③にも言える事だけど、どんな作者でも全くのメッセージ性も無く作品を作ることは出来ない。何故なら何のメッセージ性を持たせずに作品を作る方がよほど高度で神業で難しい事だから。


金の為に陳腐な話を書いてる~とか
それっぽい雰囲気を醸し出して深読みさせてる~
とか言う批判を作品に対してする人がたまに居るけど陳腐な話を書くには当然陳腐なメッセージ、テーマを込めてるし
それっぽい雰囲気を醸し出す為にそれっぽいテーマを使って作者は作品を作っている。

というかテーマや伝えたいことが何も無いのにお金を取れる作品を作れる天才はもうこんなに物が溢れて色々な考えが存在する社会には存在しないと思う。

そう言うのは一部の天才と赤ん坊の鼻歌とか無作為に手を動かして生まれた落書きとかだけ。

話を戻すと、作者は伝えたいことがあって作品を書いているのにその中継地点てある絵のどぎつさにそれが隠れてしまうのが嫌だったんじゃ無いかと思う。

家庭内でプンプンの父親と母親が喧嘩をして母親が病院送りになるシーンもデフォルメ化されたヒヨコの頭にタンコブが膨らんでいるだけ、とか。探してみればいくらでも見つかる。

あとは主人公の内面の変化で容易くデフォルメも変化するので分かりやすい。
心を閉ざしている時は正四面体になってしまったり、終盤狂気と鬱に取り憑かれた時は顔が真っ暗になって角が生えてしまったり。


次に②。この作者は画力が物凄く高くて人間の顔もめちゃくちゃ上手い。
だけどその上手すぎる画力でプンプンや他の家族の顔をリアルに描いてしまうと、メッセンジャーとして感情移入させる為のキャラクターとしては不具合が起きてしまうのだと思う。

ただ、世間ではこの作品の主人公は「どこにでも居る普通の青年」と評されているけれど僕はそれは違うと思った。
正確には「少し何かの歯車が狂ってしまえば誰でもなり得る青年」だと思う。

読者である僕たち一般人が適度にあしらい目を逸らしている心の中の暗い要素を捨てきれず向き合ってしまうIfの読者自身がプンプンだと僕は思った。
だからプンプンには明確な顔が与えられなかったのでは無いだろうか。

③は、①に近いけれど少し意味合いが違う。
この作品のメインとなっているのはヒロインの愛子とプンプンの関係性なのだが、このテーマでプンプンが美形、もしくは醜形に描かれてしまうと結局何を話すにしても、何をメッセージとして受け取るとしても「顔がね…」と言う感想を読者に与えかねない。

ノーベル文学賞候補の小説なんかを読んでるときにそれを感じる。
その日出会った女性と性行為をする程に軽妙洒脱で外面も悪くない男が死にたいだの、やれやれだの、ハッキリ言って失笑モノだ。
「そりゃ死にたいかもしんないけど少なくともセックスしてるわけでしょう。それも不器用じゃ無くてシャレオツなセックスでしょ。もっと顔も悪くて童貞で無職で母親以外の女性と話したことが無い死にたいヤツだって居るでしょ、、死にたいなら一々セックスしないで早く死ね」となってしまうのだ(?)。プンプンもセックスしてるけど①の狙いのせいかそこまで引っ掛かりは感じない。

本当にこの作者の作品に感情移入している人間って居るのだろうか、そして居たとしてソイツはとんでもない思い上がり野郎なんじゃ無いだろうか、と思う。

ノーベル文学賞候補者は文章自体もオシャレだから尚更そう捉えられやすいんじゃ無いだろうか。嫌いだから2冊くらいしか読んでないけど。思い上がりがちな青春気分の抜けてない人間に共感させる天才だとは言えると思う。



話は戻るが、そう言う恋愛に付き物な残酷な「顔」と言う要素を省くためのデフォルメキャラクターなんじゃ無いかと思った。


最後に④。これは②と一見反するように思えるけどそうでは無い。
プンプンは「誰もが成り得る」けれど「まず成らない」からだ。

不器用な性格で悪いこともしてしまうのに、かと言ってそれを開き直りきってしまう事も出来ない性質の人間
子供の頃に真っ直ぐな打算抜きの愛情(早い話が親の愛情)を感じずに成長した上
心底好きな人が居て、なおかつその人に囚われて自分自身は空っぽで、そこに唯一何か得体のしれない黒い感情を持ってしまう。それしか自分を幸せに出来ないと思い込んでしまう(あるいは思い込んでいたい)

と言うのは中々珍しい事だからだ。この内の一つや二つは当てはまる人は居るとは思うけれど全てが当てはまる事はそう無いと思う。

これらの条件の当てはまる異常者である証明がプンプンの姿の理由で、彼の家族はあくまでも副産物的に同じようなデフォルメ化された姿なのかもしれない

そして作品全体を通して何より彼は自分から普通と言うモノを切り離そうとしているようにも見える。
だからあの姿は彼の心の主観による自画像なんじゃ無いかとも思う。


異常だって事に引け目と周りに対するほんの少しの優越感を持った姿があの可愛らしいデフォルメで、だからこそそのバランスが崩れたり憎しみやもっと深い黒い感情が加わると容易く怪物のような造形に変化するのかもしれない。


あまりにも長くなりそうなので、まずはここまで。