毎日自己満足

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映画『ランボー』

この映画は単なるアクションやバイオレンス作品では無い
この映画は時代に適応できなかった哀しい男の物語だ

映画『ランボー』は1982年にシルヴェスター・スタローン主演で公開された。

主人公のランボーベトナム戦争帰りの歴戦の兵士だ。その彼が偶然通り掛かった街でトラブルを起こしてしまい、たった一人で社会そのものと戦う羽目になってしまう、簡単に説明するとそれだけの話だ。


だがその単純なストーリーには深い悲哀が練り込まれている。

彼はずっと過酷な環境に居た。争う相手は居るし、とても快適とは言えない戦場に。
だが彼は男としての誇りを持っていた。戦友と共に敵と戦う。体には活力が漲っているし、戦友とは確かな絆が存在したからだ。


過酷な筈の環境が彼の居場所だった訳だ。

やがて戦争が終わる。彼等は戦場から故郷へそれぞれが戻る事となった。
だが長い過酷な生活が彼等を蝕んでいたり、
あるいは正常な筈の生活に適応できなかったりして、病に倒れたり精神がおかしくなったりしてしまう。

そしてランボー自身も、「正常」な世界に適応できずにいた。

そんな彼が偶然通り掛かった街にある人物が現れる。

それは街の保安官だ。彼は街を通ろうとするランボーを捕らえて手荒に扱う。

だがここで言っておきたいのは保安官は別に悪人では無いのだ。保安官は時代に適応出来ていない異物であるランボーに対して当たり前の対応(保安官としての職務)をしているだけ。

だがそれに対してランボーは過剰反応をしてしまう。過酷な環境が彼の内面をおかしくしてしまったのだ。

結果的にランボーは保安官達を殴り倒して森の中に潜伏する。そして銃を奪い迫り来る警察相手に徹底抗戦する。



やがて戦い続けるランボーの前にかつての上官が現れる。そして投降を求める。

だがランボーは投降を求める上官に対して血をしぼり出すように叫ぶ。

「俺の戦争はまだ終わっていません」と



最終的には彼は再び戦場に帰ることになる。

洋画のアクション、と言うと激しさだけだと思われがちである。

だがこの作品の見所はそこでは無い、真の見所は、かつて誇りを持ち、そして時代に置き去りにされた一人の哀しい男の悲哀と慟哭なのだ。




色々と考えさせられる作品だ。